第2トンネル 鉄原地方への行き方(2010-2-21)
鍾路3街(チョンノサンガ)に泊まっていた私は、
鍾路3街から1号線で東豆川(トンズチョン)に行きました。
鍾路3街から東豆川は1時間10分くらいです。
8時くらいに鍾路3街を出て、9:10くらいに東豆川に到着しました。
東豆川から新炭里は35分くらいです。
鍾路3街駅です。1号線鍾路3街の駅番号は130です。
地上に出た時、写真を撮りました。
地上に出た地域はベッドタウンになっているようでした。
段々に雪山の景色に変わっていきました。
途中駅です。この頃にはソウルよりも寒かったです。
寒さのあまり、畑が凍っていました!
東豆川(トンズチョン)に到着しました。
登山客で一杯でした。
KORAIL京元線 東豆川発新炭里行きの時刻表です。毎時50分発です。
まずは目の前の切符売り場で新炭里までの切符を買いました。
何とたったの1000w(約80円)です、安い!
時間があったので、トイレを済ませ、朝食にしました。
何か買う人は、おでんのスープを自分で紙コップに入れて飲んで良いのです。
ですから、ドリンク代がかからないのです。ありがたいです!
私はこのようなタマゴサンドを頼みました。
これもたったの1400w(100円位)、安い!
おでんのスープとよく合い、ホカホカで美味しかったです。
食べ終わってから、駅周辺を散歩して…
発車15分前にホームに行きました。
発車10分前に行けば座れます。
登山客で一杯です。
35分くらいで新炭里駅に到着しました!
今のところ新炭駅が京元線最北端の駅です。
登山客の多いこと!
着いた〜!!という気持ちでした。
ここで、インターネットで知り合った日本人のあむさんにお会いし、
車に乗せていただきました。
第2トンネル 鉄原観光
車に乗って、5分と経たないうちにこういうものが見えました。
この鉄条網の先に地雷があるという警告です!
ソウルでこの警告は見ませんが、
鉄原地方、2日後に行く楊口(ヤング)地方には
至る所にこういう地雷警告があります。
なぜ地雷を撤去しないかというと、北朝鮮が攻めて来た時に使えるからです。
私たちに身近な地域における戦争は終わったと私は認識していましたが、
朝鮮戦争は終わっていないのです、あくまで休戦状態だということを認識します。
まず到着したのは、孤石亭(コソクチョン)です。
とても綺麗な所です。
漢灘川(ハンタンガン)が凍っていて、川の上に立っている人がいます。
私も川の上に下りてみました。
壮大なスケールです。
向こうの方は水が流れています。手前に動物の足跡があります。
水が流れている所に近い箇所は氷が薄いかもしれません。
動物は軽いからこそ歩けた箇所かもしれないので、
怖いので向こうには行きませんでした。
夏はラフティングで賑わう所なので、また夏に来たいです。
とにかくきれいな所です。
次に、漢灘川観光事務所で第2トンネル見学の参加申込みをしました。
ツアーは1日4回あります。13時の回に参加しました。
申込み手続きはあむさんがやってくれました。
ここで注意が必要なのですが、第2トンネルは「ツアー」と言っても、
板門店や第3トンネルツアーのように
お金を払えばバスで連れて行ってくれるツアーとは違います。
観光事務所に入場料を前もって支払い、自分の車でトンネルまで行くのです。
誘導してくれるツアーコンダクターはいますが、
コンダクターは先頭のお客さんの車に乗って目的地に向かうので、
コンダクターは車を用意しません。
ですから第2トンネルに行きたい場合、
自分で車を用意するか、現地に着いてから車を持っている人に
「一緒に乗せてください」とお願いするしかないのです。
それか、タクシーを使うしかありません。
以前は、新炭里駅からバスツアーがあったので、便利だったのですが
今はそのバスツアーが廃止されてしまったのです。
私があむさんにお願いした今回の場合と
自分で手配する場合、比較するとこうなります。
★ |
あむさんにお願い |
自分でやる |
車 |
新炭里駅待ち合わせ |
自分で手配 |
費用 |
2泊3日30万w (入場料・食事込) 宿泊はあむさんお宅 |
第2トンネルツアー 2000w その他移動手段自分で確保 |
日本語ガイド |
あむさんのガイド |
なし |
あむさんは鉄原近辺の旅のお手伝いをしてくれます。
要望があれば、あむさんは相談に乗ってくれると思います。
その際、「まさののホームページを見た」と言うと話が早いと思います。
→あむさんの親切な至れり尽くせり第2トンネルツアー 詳細はこちら
さて、申込み後に事務所内にある北朝鮮の展示館に入りました。
金日成に由来するもの、北朝鮮の切手などが展示されています。
韓国語と北朝鮮語の比較です。
北朝鮮は文明が入ってこないので、例えば「ドーナツ」という言葉がないそうです。
同じものを表現するにも違いが生まれてしまいました。
見学後、昼食をいただきました。
漢灘川観光事務所の前の食事処です。
清麹醤(チョングッチャン)を頼みました。
これは、納豆汁です。納豆の香りが強く私好みでした。
とても美味しかったです。
食べ終わり、いよいよ出発です。
お店の前から撮った漢灘川観光事務所です。
参加車の列ができていました。
前の車の後を追いかけて第2トンネルまで行きます。
この日は日曜日だったため参加者が多かったそうです。
平日は、参加車1台(自分たち)だけのこともあるそうです。
このように、前の車の後にくっついて走るわけです。
私の場合、あむさんが道を熟知していたので大丈夫でしたが
赤信号に引っかかったりして
このように前の車に離されることがあります。
でも、こういう道しるべがあるので多分大丈夫です。
事務所から20分後、検問所が見えてきました。
ここで、正規の参加者かどうかチェックされます。
民間人が自由に行き来できるのはここまでです。
尚、これより先がDMZというわけではありません。
南方限界線はここかもしれませんし、このもう少し先かもしれません。
南方限界線は、軍事境界線から必ずしもきっちり2kmというわけではありません。
結構アバウトです。
坂をぐんぐん上がっていきます。
検問所からトンネルまで、10分くらい走ります。
駐車場に着きました。第2トンネルはこの坂を上がった所です。
ついに着きました、念願の第2トンネルです!!
ヘルメットをかぶってトンネルに入ります。
トンネル内は頭をぶつけるので、ヘルメットは絶対に必要です。
ヘルメットをかぶらず、頭をぶつけたら血が出ると思います。
トンネル内は、残念ながら写真撮影禁止です。
この日、トンネル内は蒸し暑かったです。
夏に第3トンネルに行った時、トンネル内は涼しかったのですが。
第2トンネルの中の説明図です。
国境まではさすがに行けません。
その昔、トンネルを調査していた韓国軍兵士が
図の場所で北朝鮮兵士と鉢合わせ、銃撃戦になりました。
また、北朝鮮が軍事境界線近くに仕掛けた地雷で
亡くなった韓国兵士もいます。
その忠魂碑がトンネル入口の横にあります。
第3トンネル、板門店はとにかく時間で縛られ忙しかったですが、
第2トンネルツアーはのんびりしていて、見学時間がたっぷりあります。
次は、鉄原平和展望台へ移動します。
韓国ではこのような軍用車をしばしば見かけます。
鉄原地方はこの季節、渡り鳥を見ることができます。
第2トンネルから15分くらい走って鉄原平和展望台に到着しました。
展望台の上に行ってみると、このような線があります。
この線の先で写真を撮ることは禁止です。
ですが、この線の先は1mほどしかありません。
都羅展望台のように、軍人さんが睨みを利かせているわけでもなく
韓国人がバシャバシャ写真を撮っていました。
のんびりした雰囲気で見学ができる点がとても良いです。
前方のうすく見える山は北朝鮮です。
この展望台の先には、朝鮮時代に少しの間だけお城があったそうです。
それがこの図です。
こちらは模型の地図です。
この遺跡調査は全く進んでいません。
この城跡は軍事境界線をまたでいて、かつDMZ内にあるため調査ができないのです。
この辺りも朝鮮戦争で使った地雷がそのままにしてあります。
ここは北朝鮮に攻めて来られたら
一番最初に踏み荒らされることになりますからね。
次は、鉄原地域で見られる動物博物館と月井里(ウォルジョンニ)駅です。
まずは、動物博物館です。
DMZは手付かずの土地なので、自然の宝庫なのです。
次に、月井里駅です。
この駅、本当はDMZ内にあったのですが、
DMZ内だと観光客が見学できないため、
DMZの外に移動させたとのことです。
駅の中です。
ここからソウルまで104km。他の文字は分かりません。
6・25動乱(北朝鮮の侵略開始=朝鮮戦争勃発)時に、
この地域で最後の汽笛をあげた客車の残骸と
国連軍の砲撃を受けた人民軍の貨物車が展示されています。
この写真は、駅の様子が分かりやすいと思います。
これで安保観光のツアーは終わりです。
この先はあむさんのご好意で(私の強い要望で?)承日橋(スンイル)を見学しました。
朝鮮戦争の際、ここが北朝鮮だった時、
この橋の着工が始まりました。
この地域は北緯38度線より上にあり、
押しつ押されつの激戦地でした。
北朝鮮がこの橋を作っている途中で休戦交渉がまとまり、
この地が韓国領になったので、残り半分を韓国が作ったのです。
この橋は老朽化しているので渡ってはいけないのですが、
地元民が渡っていたので、渡ってみました。
川が凍っています。
危険 渡るな、か 寄りかかっちゃダメと書いてあるようです。
寄りかかったら、本当に崩れるかもしれません。
景色がとても美しいです。
次は朝鮮労働党舎です。
鉄原地方が北朝鮮だった頃、北朝鮮が共産主義思想を鉄原住民に植え付けようと、
拷問して脅した舎です。
ここは戦場になった所であり、銃弾の跡が生々しく残っています。
労働党舎の裏山には防空壕があったそうです。
党舎をぐるっと回りました。
次は白馬高地慰霊碑に向かいました。
ところで、ソウルより北の地域には至る所にこういう施設があります。
これは軍事施設です。
北朝鮮が突然攻めて来た際、横の石段を倒して道路を封鎖するための施設です。
この石段を倒せば、北朝鮮軍が石段を撤去して戦車を進めるのに5分稼げるそうです。
1箇所につき5分、これが何箇所もありますから、
これだけ時間を稼げば韓国軍は迎撃態勢を整えられるということです。
地雷を残っていることにせよ、このような軍事施設にせよ、
日本には全くないので本当に驚きます。
ここは白馬高地慰霊碑です。
白馬高地はDMZ内なので入れません。
戦時中 攻守が24回も入れ替わったほどの激戦地であった白馬高地をここから望むのです。
見晴台があるので登ってみました。
これが白馬高地です。
例によって、周りは地雷警告の鉄線が張られています。
これで鉄原地方の見学は終わりです。
鉄原地方を地図で見てみるとこんな感じです。
どれだけ動き回ったかかご想像いただけると思います。
あむさんのお宅への移動中に鉄原駅建設予定地を見ました。
今は資材置き場になっています。
今は新炭里駅が最北端の駅ですが、
近い将来 鉄原駅ができるので、
鉄原駅が京元線の最北端になるとのことです。
まだ日本であまり知られていないニュースだと思います。
この写真は将来値打ちが出ると思いますよ!