第4トンネル まずは楊口(ヤング)へ(2010-2-23)
本当は、昨日の時点であむさんご一家とお別れだったのですが
「春川から楊口にバスが出ている。
私たちは明日朝、春川に用事があるから乗せて行ってあげるよ」
というあむさん一家のご好意の下、
私はもう1泊させていただいたのでした。
地図です。
10時頃、春川バスターミナルに着いて、
丸2日行動を共にしたあむさん一家とお別れしました。
あむさん一家にはこの度初めてお会いしましたが、
打ち解けて色々なお話をしました。
DMZ見学に来た人はたくさんいるけど、
あむさんのお宅に宿泊した人は私が初めてだそうです笑。
また近い日にあむさんご一家に会える気がしています。
春川バスターミナルです。
楊口行きは5番です。
楊口への行き方が分からなかったですが、
バス乗り場が分かればもう大丈夫です。
春川バスターミナルから楊口まで6000wです。
結構なスピードで飛ばして1時間の距離を6000wは安いです。
春川発楊口行きの時刻表です。私は10:40に乗りました。
ここでバス乗車券を買います。
バスの乗車券です。
バスに乗る時に、このバスは楊口へ行くか
念の為確認したかったのですが、
運転手さんは総じて英語が全く通じません。
バスに乗ってから、若い人に「このバスは楊口に行くか?」確認しました。
私の経験上若い人ならば、英語で教えてくれる人が多いです。
楊口は山の中の街です。日光のいろは坂のようなカーブが
40分くらい続きます。
それはまだいいのですが、韓国の運転手さんは運転が荒い、荒い…。
F1のコーナーを攻めるような運転が40分続くので
心して乗った方が良いです。
体力のあった朝だったので酔いませんでしたが…。
楊口バスターミナルに到着しました。
さて、どうしたものか…と思いながら、
まずは楊口の街を歩いてみました。
ぐるっと街を歩いてみて、バスターミナル裏の大通りに面している
このお店に入ってみました。
私は、観光客用のレストランよりも地元の人が使うレストランに入るのが好きです。
例え、言葉やメニューが分からなくても。
私は、まずは「アニョハセヨ〜」と言って入ります。
そうすると、私の発音から「日本人だな」と店員さんに分かってもらえます。
どかっと大荷物を降ろし、メニューを見ました…。
見ても何も分かりません。
「お勧めは何ですか?」と聞きたかったのですが
ハングルで何と言うか分からなかったので「←コレ」を注文しました。
出てきました。とても辛かったですが、美味しかったです。
ラーメンとトッポキだったのでしょうか。
「水ください」とも言えず、ハフハフしながら食べました。
テイクアウトのお客さんが水を飲んでいるのを見て、
セルフサービスだということが分かり、私も水を飲みました。
私のテーブルの近くに少年が居たので、
第4トンネルを知ってるか英語で聞いてみましたが
あまり知らないようでした。
この子はこのお店のオーナーの息子さんでした。
オーナー始め、テイクアウトのお客さんを巻き込み
皆でああだ、こうだと話し合ってくれました。
地元の人でさえ分からないのですから、日本人が楊口の更に先へ行くのは
大変なことだったのだと思います。
楊口から第4トンネルの下の受付事務所に行く途中にヘアンという街があるのですが、
そこまでバスで行くか、あるいはここからタクシーで行くか
どちらかが良いという話になったところで
その子が私をどこかに連れてってくれると言いました。
私は会計(4000w)を済ませ、その子についていきました。
着いた先は、楊口観光案内所でした。
私は彼にお礼を言い、その子と別れました。
彼が最後に日本語で言ってくれた「さようなら」はとても良い発音でした。
ここには日本の職員の方(仮名:井野さん)がいました。
第4トンネルに行きたいと井野さんに言ったところ、
「バスでヘアンに行くと安いが、ヘアンに着いてからタクシーを拾うのが大変でしょう。
ここからタクシーで行く方が良いと思います」
「料金は、往復と見学中待っててもらうこと込みで8万w
になるようドライバーに交渉してみましょう」
と言って、交渉してくださいました。
第4トンネルを見学する人がたまにいるので、
そういう時は第4トンネルと乙支展望台セットで
回ってもらうようにしていると井野さんは言っていました。
タクシーに乗りました。先に8万wを払いました。
ヘアンを抜けて第4トンネルに向かう途中にあるトンネルです。
このトンネルのおかげで時間が大幅に短縮されたそうです。
それでも1時間かかる距離ですから片道40kmくらいだと思います。
例によって、軍事施設があります。
この辺り、パンチボウルは朝鮮戦争の激戦地ですからね。
本当は所々で止まってもらって写真を撮りたかったのですが、
そう言えなかったので、走行中に景色の写真を撮りました。
雪が沢山残っています。
楊口も鉄原も気温は同じくらいの寒さなのですが
鉄原は雪があまり降らないと言っていました。
楊口は雪が降る寒さのようです。
第4トンネルまであと9km、乙支展望台まであと7kmです。
手続きをする事務所に到着すると、そこでパスポートを見せました。
ここで観光協会の人が乗って来て、
運転手さん、その人、私の3人で第4トンネルに向かいました。
車で10分くらい登って第4トンネルに到着しました!
やっと、やっと着きました!
これで念願のトンネル4つ制覇です!
到着後、まずはビデオを見せてくれました。
見学者は私の他に韓国人が2人いましたが、日本語で見せてくれました。
ビデオの内容を書いておきます。
世の中が平穏に暮らしていた1990年3月3日に第4トンネルが発見され、
世間の度肝を抜きました。
韓国は北朝鮮軍の仕業と断定、
軍事境界線の所でトンネルを塞ぐ隊を結成しました。
地雷撤去などの訓練を十分に積み、
「決死」の文字が入ったヘルメットを被り
隊員はトンネルに入って行ったのでした。
隊員が一歩一歩、歩を進めると地雷探査機が鳴りました。
隊員はそーっと、そーっと手で土をかきわけ
北朝鮮が仕掛けた地雷を撤去しながら
先に進んだのでした。
軍事境界線まであと少しの所で、
隊長が鼻の効く軍用犬を放ちました。
軍用犬はクンクンと地面を嗅ぎながら先に進んだのですが…
一瞬のうちに軍用犬は天井に叩きつけられました。
地雷を踏んでしまったのです。
丸焦げというより、表面の皮膚が全部焼けて真っ赤になった犬の形をした
軍用犬の死体が映像に映し出されました。
その後も決死隊は歩みを続け、トンネルを塞いだのでした。
ビデオをみてからいよいよ第4トンネルに入ったわけですが…
その横にその軍用犬のお墓があったので行ってみました。
私は犬好きなので、何とも言えない気持ちになりました。
トンネルに入りました。
トンネル内は写真撮影禁止です。
第4トンネルにつながる道は徒歩です。
そして、実際の第4トンネルはトロッコで移動します。
30秒くらいトロッコで走り、止まります。
そこでハングルで説明がありましたが、内容は分かりませんでした。
しかし、私と一緒に来た事務所の人が「one hundred meter!」と
耳打ちしてくれました。
おそらくその地点は軍事境界線まで100mということだったのでしょう。
説明が終わると、今度は後ろ向きに走り出し元の場所に戻ります。
地上に出ました。
戦車と碑があります。
待ってもらっていたタクシーに乗り、乙支展望台に移動します。
地雷警告の鉄線が至る所に見られます。
10分ほどで乙支展望台に到着しました。
乙支はウルチと読みますが、
ソウルの地下鉄2号線乙支路入口(ウルチロイプク)の
乙支(ウルチ)と同じ発音です。
山の上なので、外は寒風吹きさらしだったのですが
中はとても温かいです。
北朝鮮の写真撮影は禁止でした。
こちらの軍人さん(スポングさん)はとてもお話好きで、
目の前に見える山の説明や「あそこに北朝鮮の物見塔(G.P)がある」
などの説明をしてくれました。
写真に見える後ろの山は北朝鮮なのですが、
「この位なら写真に写ったって分からないから良いよ」と
この角度で撮ることを許可してくれました。
目の前の北朝鮮の山は1200mくらいあります。
北朝鮮兵は山の平らな箇所で野菜を作ったりして、
一部自給自足しているようです。
通常は生活物資をケーブルカーで山へ運ぶのだが
エネルギー不足なので人力で運んでいるようだと
スポングさんは言っていました。
金剛山(クムガンサン)がうっすらと見えました。
金剛山は北朝鮮なのですが、2008年9月まで観光できた所です。
2008年9月某日 韓国人が立ち入り禁止区域に入り、
北朝鮮兵に射殺されました。それ以来金剛山観光は中止になっています。
ですが、北朝鮮は外貨が欲しいため、観光再開を要求してきています。
おそらくは観光再開するんじゃないかと私は思います。
板門店のガイドさんも近い将来再開すると思うと言ってました。
最後に展望台からパンチボウルを見ました。
晴れ渡ってとても美しい景色でした。
こんな美しい所で朝鮮戦争の激戦が
繰り広げられたとは信じられません。
最後に、スポングさんとアドレス交換をしてお別れしました。
スポングさんは、「日本人と初めてこんなに話した、
次回は英語をもっと勉強しておく」と言っていました。
スポングさん、私も英語とハングルの勉強をしときますよ!
これで本日の見学はおしまいです。
楊口へ向けて帰ります。
すっきりと晴れ渡りとても綺麗な景色でした。
楊口の街に戻ったのが17:30頃でした。
翌日に高城展望台に行く予定だったので、
今日のうちに18:30のバスで束草(ソクチョ)に向かうことにしました。
最後に、楊口観光事務所の井野さんに第4トンネルまで無事行けた報告と、
今日楊口を出発する旨挨拶をしました。
そしたら、井野さんはバスの切符を買うのを手伝ってくださいました。
井野さん、楊口観光事務所の方々、お世話になりました。
ありがとうございました。
束草まで8,800wでした。8,800wは安いです。
ただ私の乗ったバスは快速でなく、
一つ一つバス停に止まるタイプのバスで、
襄陽(ヤンヤン)を経由したので2時間弱かかりました。
私の乗ったバスです。
特に楊口は山道でカーブがきついので
回り道しないバスを選ぶと良いです。
この運転手さんも運転が実に荒く、
カーブをきつく曲がるので私は酔いました…。
本当に、F1レーサーかと思うようなコーナーワークでした。
ほうほうの体で束草バスターミナルに到着しました。
少し休んでから@の食事処でごはんを食べました。
@のお店。
こちらのお店はおじさんとおばさんがやっています。
英語は全く通じません。
先ほど井野さんに書いていただいた翻訳メニュー表を指差して
注文したらおばさんは「アー、イェー、イェー」と了解してくれました。
注文通り腸詰スープ定食(スンデククパブ)が出てきました。
どうしてもこれを食べたかったんです。
こんなについて5,000wです。安い!
「辛くしないでください」と伝えたので唐辛子抜きでした。
とても美味しかったです。
食べ終わってから宿を探した訳ですが…
Aのモーテルに飛び込んでみたところ、
1泊2,500wで、受付のおばさんはそこに住んでいるようでした。
犬を飼ってました。犬好きな人に悪い人はいないだろうと思い、
このモーテルに決めました。
中はこんな様子です。
室内は温かかったです。
ただ、シャワーを出してみた時、お湯がぬるかったので、
受付まで行って、手招きで部屋に来てもらい、
お湯に触ってもらって、お湯の温度を上げてもらうよう
私は身振り手振りで要求しました。
しかし、英語は全く通じないし、私はハングルが分からないしで、
分かってもらうのは難しいかなと私は思い、
"OK,OK"と私は言って、帰ってもらいました。
しばらくしてお湯を出してみたら
お湯が熱くなっていたので、通じたようです。
この宿のテレビは、ハングル字幕の日本の番組が映るようになっていたので
テレビは面白かったです。
翌日に備えて早めに寝ました。この日は疲れました…。